平郡庄(読み)へぐりのしよう

日本歴史地名大系 「平郡庄」の解説

平郡庄
へぐりのしよう

現在の西都市平郡へごおりを遺称地とし、庄域は同所や周辺の加勢かせ藤田とうだなどを含む一帯に比定され、古代の児湯こゆ平群へぐり(和名抄)の郷域に成立したとみられ、平群とも書いた。庄内には平野ひらの村・川原田かわらだ(河原田)などがあり、また平野村のうちとして久目田くめだ村などもあった。「吉記」によると承安四年(一一七四)九月四日平清盛が後白河院のもとを訪れたとき、藤原(吉田)経房は院から「平群庄下司経高」のことに関して何かしら示されている。同月一五日、後白河院に経高の結解(決算書)の奏覧があり、院は領家に結解状を渡し、訴訟期間中は経高を清盛に預け、判決が出るまで加減しないようにと命じており、当庄は後白河院領であったと思われる。

建久図田帳に前斎院(後白河皇女式子内親王あるいは高倉皇女範子内親王か)領として「平郡庄百町」がみえる。児湯郡内で、右馬助殿広時(関東御家人であろう)地頭と預所を兼任していた。前斎院領はそののち後鳥羽院の管領下に置かれたらしい。後鳥羽上皇からは直接七条院(藤原殖子、後高倉院・後鳥羽天皇の母)に譲られたか、もしくは承久の乱で鎌倉幕府に没収され、後高倉院の手を経て七条院領となったと思われる(年未詳「室町院領目録」八代恒治氏旧蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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