平末清(読み)たいら・すえきよ

朝日日本歴史人物事典 「平末清」の解説

平末清

生年生没年不詳
鎌倉中期の建築工匠。父末守と共に寛喜2(1230)年の法隆寺夢殿の大修理,嘉禎2(1236)年の春日若宮,仁治2(1241)年春日社宝蔵などの工事に携わっている。末清を含めたこのころの平姓一族は南都の寺々を活動の場としており,夢殿から窺えるように,当時の新様式である大仏様に拠らずに,伝統的な和様の技法の構造的な弱点を改善しつつ,その伝統を守っていた。時代にやや隔たりがあるが,弘安6(1283)年霊山寺本堂造営で大工頭,同8年薬師寺東院堂造営で大工を勤めた末清も同一人と考えてよく,ここではわずかに大仏様を取り込みながら,伝統的で温和な作品を生み出している。<参考文献>大河直躬『番匠

(山岸常人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平末清」の解説

平末清 たいら-すえきよ

?-? 鎌倉時代の大工。
奈良諸寺中心に活動。寛喜(かんぎ)2年(1230)法隆寺夢殿の大修理,嘉禎(かてい)2年春日若宮,仁治(にんじ)2年春日社宝蔵などの工事にたずさわる。また弘安(こうあん)6年霊山寺本堂造営の大工頭,8年薬師寺東院堂造営の大工などをつとめた。

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