市来城跡(読み)いちきじようあと

日本歴史地名大系 「市来城跡」の解説

市来城跡
いちきじようあと

[現在地名]東市来町長里

東シナ海に注ぐ江口えぐち川下流域右岸の、標高一〇〇メートルの城山を最高地点とするシラス台地に築かれた山城鶴丸つるまる城ともいう。「薩隅日三州他家古城主来由記」は一三世紀初頭の市来家房を最初の城主と伝える。建武四年(一三三七)当城の城主市来時家は父資家とともに懐良親王先陣として来薩した三条泰季に属して南朝方となり、守護島津貞久勢に対抗した(同年八月六日「川上頼久書下」旧記雑録など)。時家は市来院院司系の惟宗姓市来氏で御家人であった(文保元年七月晦日「薩摩国御家人交名注文」同書)。貞久の子川上頼久勢は同年七月二五日以来当城で合戦し、野首・大手・水手・平城南手に押寄せ(建武四年一一月日「延時法仏軍忠状」延時文書など)、これに対し時家は河上家久らを率いて八月一〇日石走いしばしり(現市来町)で頼久方の宮里氏らと、一四日江口浜の赤崎あかさきでは頼久方小河氏らと戦っている(同年八月日「莫禰成助軍忠状」旧記雑録など)。九月には伊集院忠国が時家を援助しようと伊集院いじゆういん(現伊集院町)から出陣したが(「川上頼久伝」同書)、頼久は一七日から二七日まで大手・水手へ押寄せ、二九日には忠国らの援軍と激しく合戦した(前掲延時法仏軍忠状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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