川上不白(読み)カワカミフハク

デジタル大辞泉 「川上不白」の意味・読み・例文・類語

かわかみ‐ふはく〔かはかみ‐〕【川上不白】

[1716~1807]江戸中期の茶の宗匠紀伊国新宮の人。表千家の7世如心斎の門人師命を受け、江戸に千家の茶を広め、その門流江戸千家とよばれた。

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精選版 日本国語大辞典 「川上不白」の意味・読み・例文・類語

かわかみ‐ふはく【川上不白】

江戸中期の茶人。不白流茶道開祖。紀州新宮藩士五郎作の二男。表千家七世如真斎宗左の門に入り、宗雪茶名をうける。のち江戸に下り表千家の茶道をひろめ、江戸千家と称された。不白の号は、代々、世襲されている。孤峰不白。享保元~文化四年(一七一六‐一八〇七

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改訂新版 世界大百科事典 「川上不白」の意味・わかりやすい解説

川上不白 (かわかみふはく)
生没年:1716-1807(享保1-文化4)

江戸中期の茶匠。江戸千家,不白流の祖。紀伊国(和歌山県)新宮藩水野家の臣,川上五郎作の次男。18歳のとき茶道に志し,表千家7世如心斎宗左のもとに参じて,その高弟となった。大徳寺の大竜和尚に参禅し,はじめ宗雪,のち不白と号した。不羨斎孤峰不白の称が知られるほか,別号黙雷庵,蓮花庵をはじめ,俳諧をよくし,不羨庵の俳号俳句を多く残している。25歳のときには千家七事式の制定参画。水野侯の茶頭(ちやどう)として1750年32歳で江戸に下向し,千家の茶の普及につとめ,一流を許されて江戸千家(江戸千家流)を称した。如心斎の茶説を聞き書きした《不白筆記》は有名である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「川上不白」の意味・わかりやすい解説

川上不白
かわかみふはく
(1716―1807)

江戸千家流の祖。紀州(和歌山県)新宮(しんぐう)藩(水野家)の藩士川上五郎作の次男。茶道に志し、1734年(享保19)如心斎千宗左(じょしんさいせんのそうさ)に入門、高弟となる。大徳寺の大竜和尚(おしょう)に参禅し、宗雪と号す。不白は隠居後の号。41年(寛保1)、如心斎が弟又玄斎(ゆうげんさい)一灯宗室や大徳寺の大竜・無学和尚らとともに七事式(しちじしき)を制定した際、25歳でこれに参画している。茶湯正派を嗣(つ)ぐべき人物とされていたが、水野家の茶頭となり、50年(寛延3)江戸に下向、いわゆる江戸千家の祖となり、「天然(如心斎口授(くじゅ))」にあたった。73年(安永2)家督を宗引に譲り、号を不白と改める。文化(ぶんか)4年10月10日、91歳で没した。墓は東京・谷中(やなか)安立寺にある。

[村井康彦]


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百科事典マイペディア 「川上不白」の意味・わかりやすい解説

川上不白【かわかみふはく】

江戸中期の茶人。表千家7世如心斎宗左の高弟。水野侯の茶頭として1750年江戸に下向し,茶道を教授した。江戸千家流の祖。《川上不白筆記》(如心斎の口述をまとめたもの)がある。
→関連項目茶道

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世界大百科事典(旧版)内の川上不白の言及

【江戸千家流】より

川上不白を流祖とする茶道の流儀の一つ。川上不白は千家の茶法の皆伝をうけ,一流をおこすことを許され,江戸で千家の茶を普及するために1750年(寛延3)江戸に下向,上野池の端に居を定めて〈江戸千家〉を名のった。…

※「川上不白」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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