嶽城跡(読み)あまずらだけじようあと

日本歴史地名大系 「嶽城跡」の解説

嶽城跡
あまずらだけじようあと

[現在地名]南関町関東 城平

標高二五六・一メートルの大津おおつ山頂を中心に山麓一帯に遺構が確認される。別に大津山城・舞鶴城・南関古城などという。正平六年(一三五一)一〇月一日に南朝方が攻めた「関城」は当城の前身と推定され(同月四日「征西将軍宮懐良親王令旨写」阿蘇家文書・同一八日「三池頼親軍忠状」三池文書など)、「征西大将軍宮譜」には「関城ハ平家物語に見えたる大津山の関にて」とある。「事蹟通考」所載の大津山氏家系の資基の項に応永三年(一三九六)大津山嶽城を築城し居城としたとあり、天文一九年(一五五〇)から天正初め頃まで大友氏の臣小原氏が在城した時期を除き、大津山氏が居城とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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