嵯峨村(読み)さがむら

日本歴史地名大系 「嵯峨村」の解説

嵯峨村
さがむら

[現在地名]豊玉町嵯峨

佐志賀さしか村の南東仁位浅海にいあそうの湾口に近い嵯峨浦に臨む。「津島紀略」では府中ふちゆう(現厳原町)より一〇里八町とある。応永一一年(一四〇四)一二月二〇日の宗正永書下(与良郷宗家判物写)に「さか、かいふな、大いし」とみえ、「八かいの大もの」が現れたならば、捕獲するよう与良よら大山おやま(現美津島町)の宮内入道に命じているので、海豚か鯨を追込む漁が行われていたのであろう。「海東諸国紀」に「双介浦五十余戸」とあり、仁位郡内の当地に比定される。天文一〇年(一五四一)「二位郡東之内」として「さかのまのはたけ」が築城孫兵衛に安堵されている(同年五月二八日「宗貞泰安堵書下」仁位郷判物写)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報