島下郡(読み)しましもぐん

日本歴史地名大系 「島下郡」の解説

島下郡
しましもぐん

淀川北岸の摂津国東部に位置した郡。「和名抄」東急本国郡部は訓を島上の「志末乃加美」に准ずるとするから、「しまのしも」となる。のち「しましも」とよばれるようになり、近代の郡名の訓は「シマシモ」(内務省地理局編纂「地名索引」)。東は島上郡、北は丹波国桑田くわた郡、西は豊島てしま郡・能勢のせ郡、南は西成にしなり郡と河内国茨田まんだ郡に接する。郡域は東西幅は狭いが、南北に長く広がる。北部は北摂山地に入って標高約五〇〇メートルを示すが、南に低下して一〇〇メートル前後で淀川低地に臨む。この山地とは東西方向に延びる構造性の谷によって隔てられた南部に、標高約一三〇メートルから四〇メートルの千里丘陵が半円形に広がるが、この東半部は島下郡に入る。郡の東部および南部は淀川とその支流が形成した沖積平野である。北摂山地から流出する安威あい川・佐保さほ川・勝尾寺かつおじ川、千里丘陵から流下する大正たいしよう川・山田やまだ川・正雀しようじやく川はいずれも安威川に合して、淀川の分流をなす神崎川に入る。現在では、郡域は茨木いばらき市・摂津市の全域、吹田すいた市の大部分箕面みのお市・豊能とよの豊能町・豊中市の一部にあたる。

〔古代〕

郡名の史料上の初見は「続日本紀」和銅四年(七一一)正月二日条である。しかし島上郡が「三島賀美郡」「三島上郡」とよばれていたように、この郡の古称が「三島資母郡」または「三島下郡」であったのは確かであり、また略称として下郡としている史料も散見される。寛治六年(一〇九二)六月二二日の僧定尊田畠売券案(東寺百合文書)、康和四年(一一〇二)三月日の東寺政所下文案(同文書)などである。また島下郡が島上郡とともに大化前代に三島みしまとよばれる地であり、三島県や三島竹村たかふ屯倉(現茨木市)があり、この三島県を中心とする三島が分割されて島上・島下の二郡となったことは、島上郡の項で述べた。現茨木市のこおり郡山こおりやまが地名から島下郡衙の所在地と推定されているが、発掘調査によって確認はされていない。前記の郡名初見史料は、平城京遷都に伴って山陽道駅路の再編が行われ、島下郡に殖村うえむら(現茨木市)が新設されたと述べている。この駅名は「延喜式」(兵部省)にはみられず、その頃までに廃止されたものと考えられるが、駅路そのものは平安期にも引続いて使用され、島上郡衙(現高槻市)から島下郡衙まで直線路をなし、次いで北摂山地と千里丘陵との間の低地帯を通って西へ向かったと推定されている(後世の西国街道とほぼ一致する)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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