峰須川村(読み)みねすかわむら

日本歴史地名大系 「峰須川村」の解説

峰須川村
みねすかわむら

[現在地名]新治村東峰須川ひがしみねすかわ西峰須川にしみねすかわ

須川村の南西に広がる村。江戸時代初期は須川村に含まれていたが、寛文四年(一六六四)押野おしの用水完成後本格的に開発が行われ、やがて独立村となった。その時期は不明だが、延宝九年(一六八一)の須川三ヶ村田畑反歩高帳(新治村史料集)に村名がみえ、高二千六九石余。貞享二年(一六八五)の沼田藩領再検地控では八一二石余。天和元年(一六八一)沼田藩真田氏改易後は幕府領であったが、延享三年(一七四六)村高が二分されて旗本伊丹領と幕府領の相給となった(同年「分給議定証文」県立文書館蔵)。伊丹氏の知行所はこのほかに吾妻あがつま坪井つぼい(現長野原町)赤岩あかいわ村・日影ひかげ村・生須なます(現六合村)があるが、そのなかでも当村東峰須川地区の名主河合定右衛門家は大惣代を勤め、大庄屋とよばれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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