岩名村(読み)いわなむら

日本歴史地名大系 「岩名村」の解説

岩名村
いわなむら

[現在地名]佐倉市岩名・宮前みやまえ一―三丁目

飯田いいだ村の西、鹿島かしま川下流右岸に位置。玉泉ぎよくせん寺の木造金剛力士像の胎内に納められた明応六年(一四九七)八月一日付の修理墨書銘文に地頭渡辺厳二良の名がみえる。同氏は当地を領したとみられ、臼井氏の一族家臣であった(千学集抜粋)。「寛文朱印留」に佐倉藩領として村名がみえ、以後幕末まで同藩領。元禄郷帳では高三〇〇石余。寛延二年(一七四九)の佐倉藩領村高覚によれば高三〇六石余、夫役永八九八文余・栗代永一三五文・下刈銭永二貫四〇〇文・山銭鐚一貫五八三文。

岩名村
いわなむら

[現在地名]野田市岩名一―二丁目・岩名

座生ざおう新田の北、江戸川左岸に位置する。年月日未詳のれんせう書状断簡(金沢文庫文書)に「いわなこそのねんくをもてまいらせ候」とみえ、中世には金沢称名寺領であった。天正二年(一五七四)一二月二日の古河公方足利義氏料所目録(喜連川文書)には庄内河辺のうちとして「岩な」とあり、土肥次郎が知行していた。寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図に村名がみえる。貞享五年(一六八八)の田畑石高帳(渡辺家文書)では古高三七九石余、反別は田二八町三反余・畑二八町五反余、ほかに新田古高五四石余、また新高七七五石余・新田新高五九石余があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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