岡部長職(読み)おかべ・ながもと

朝日日本歴史人物事典 「岡部長職」の解説

岡部長職

没年:大正14.12.27(1925)
生年:安政1.11.16(1855.1.4)
明治大正期の外交官,政治家。父は摂津国(大阪府)岸和田藩主岡部長発。長職は長発のあとを継いだ伯父長寛の養嗣子となり,明治1(1868)年襲封した。4年廃藩置県に伴い,同藩知事を免官となる。8年から16年にかけて欧米に留学。帰国後子爵に叙せられ英国公使館参事官に任じられた。青木周蔵外相の下で次官として条約改正に尽力したが,大津事件(1891)により辞職した。30年から31年にかけて東京府知事在任中に遷都30年祝賀会,市制特例廃止をみたほか,第2次桂太郎内閣司法大臣として大逆事件(1910)を処理している。この間貴族院研究会の幹事として政党勢力の伸長に抵抗した。<参考文献>杉本勝二郎編『国之礎(華族列伝)』

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡部長職」の解説

岡部長職 おかべ-ながもと

1855*-1925 明治-大正時代大名,官僚
嘉永(かえい)7年11月16日生まれ。岡部長発(ながゆき)の長男。伯父岡部長寛の養子となり,明治元年和泉(いずみ)(大阪府)岸和田藩主岡部家13代。8年欧米に留学。帰国後,外務省にはいり22年外務次官,23年貴族院議員,30年東京府知事。41年第2次桂内閣の法相となった。大正14年12月27日死去。72歳。

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