朝日日本歴史人物事典 「岡市之助」の解説
岡市之助
生年:万延1.3.7(1860.3.28)
明治大正期の陸軍軍人。長州藩士の次男として萩(萩市)に生まれる。明治21(1888)年陸軍大学校卒。日露戦争後,長州閥を主流とする陸軍軍政系統の中枢を歩む。陸軍大臣寺内正毅の下で軍務局長を務める。次官在任中の45年中将に進む。官僚閥,政友会,陸軍,海軍の対立激化のなか,大正2(1913)年,第1次山本権兵衛内閣のとき,陸軍の主張である「軍部大臣現役武官制の維持」と2個師団増設の実現をめざしたが失敗,次官を辞職。第2次大隈重信内閣では,陸大卒としては初の陸相となる。陸軍内部で人事,増師問題,対中国政策をめぐり寺内,上原勇作,田中義一,中堅層ら諸勢力が複雑に対立し,その板ばさみに苦しみ,病気により大臣を辞任。<参考文献>北岡伸一『日本陸軍と大陸政策』,大久保利謙他編『日本歴史大系4/近代Ⅰ』
(山村義照)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報