日本歴史地名大系 「山鼻屯田兵村」の解説
山鼻屯田兵村
やまはなとんでんへいそん
明治九年(一八七六)に山鼻村の北部(現在の中央区南部)に屯田兵が入植して成立した兵村。明治七年制定の屯田兵例則に基づき、同九年五月に屯田兵二四〇戸・一千一四四人が入植、屯田兵第二中隊に編制された。入植者二四〇戸の出身地は青森県五二・岩手県二・宮城県一〇四・秋田県二一・山形県八・福島県五三であった。旧
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
明治九年(一八七六)に山鼻村の北部(現在の中央区南部)に屯田兵が入植して成立した兵村。明治七年制定の屯田兵例則に基づき、同九年五月に屯田兵二四〇戸・一千一四四人が入植、屯田兵第二中隊に編制された。入植者二四〇戸の出身地は青森県五二・岩手県二・宮城県一〇四・秋田県二一・山形県八・福島県五三であった。旧
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