山野辺城跡(読み)やまのべじようあと

日本歴史地名大系 「山野辺城跡」の解説

山野辺城跡
やまのべじようあと

[現在地名]山辺町山辺

白鷹しらたか丘陵先端の小丘陵上にあり、小鶴こづる城とも称した。当地にはじめて築城したのは山野辺刑部と伝えられるが、四の丸まである輪郭式の平山城として整備したのは最上義光四男山野辺義忠であった。

文明三年(一四七一)最上氏が伊達・蘆名両氏と戦った際、出羽国より最上氏に従った者に山野辺右衛門大夫将秀がおり(家林合集記)、中山玄蕃頭系図によると大江氏の一族長崎ながさき(現中山町)城主中山直正の妹は文亀三年(一五〇三)最上氏一族の山野辺刑部直広に嫁しているが(中山町史年表)、これは大江氏と最上氏の融和策のためであったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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