山科小野庄(読み)やましなおののしよう

日本歴史地名大系 「山科小野庄」の解説

山科小野庄
やましなおののしよう

山科盆地中南部、後の大宅おおやけ(大宅村)野村(東野村・西野村)西山にしのやま(西野山村)の境域にほぼあたる。山科盆地の主要部分を占めたと推定される古代小野郷にかかわると思われるが、古代には荘名はみえない。「源平盛衰記」巻三五に、義経軍が宇治から京都に入る道の一つとして「或は小野庄・勧修寺を通つて、七条より入者もあり」と記すが、本書の成立から考えて平安期までさかのぼりうる史料とはいえない。

山科小野庄は、後白河上皇が仁安二年(一一六七)に山科大宅の地に山科新御所を造営、この御所の周辺が荘園化されたものであろう(→山科新御所跡。建久三年(一一九二)三月の後白河院庁下文案(大徳寺文書)

<資料は省略されています>

と記され、この時には高階栄子(丹後局)に譲られて、「歳月已尚」かったことが確認されている。ただし山科小野庄は建保四年(一二一六)八月の後鳥羽院庁下文案(大徳寺文書)に比丘尼顕蓮領として名がみえ、冷泉教成領である播磨国平井ひらい(現兵庫県三木市)と交換されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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