山田中村(読み)やまだなかむら

日本歴史地名大系 「山田中村」の解説

山田中村
やまだなかむら

[現在地名]吹田市山田東やまだひがし二丁目・同四丁目・山田西やまだにし二―三丁目・高野台たかのだい一―四丁目・津雲台つくもだい一―七丁目など

山田八ヵ村の一で佐井寺さいでら村の北にあり、単に中村ともいう。村は千里丘陵上に位置し、村の東部に山田川が流れて谷間を構成している。慶長一〇年(一六〇五)摂津国絵図、元和初年の摂津一国高御改帳、寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳に村名がみえるが、単独の村高は不明(→山田村。しかし元和七年(一六二一)免定では山田村として一括されているものの、分米二七三石余中村分とあるので(吹田市史)、実質的には分村していたとみられる。

山田中村
やまだなかむら

[現在地名]一宮町山田

高山たかやま村の南にあり、南は鮎原中あいはらなか(現五色町)。貞応二年(一二二三)の淡路国大田文にみえる山田保の遺称地。正保国絵図に山田中村とみえ、高三八一石余。天保郷帳では高四三四石余。反別戸数取調書によると反別四一町六反余、高六四五石余、うち一三〇石を鉄砲組頭賀島賢之助ら三人の給人が知行し、蔵入高は五一五石余、ほかに八幡社領として六斗があった。家数七一・人数四九三。柳沢組に属した。明治一〇年(一八七七)高山村など二ヵ村と合併して山田村となる。八幡神社は当地・高山入野いりのの産土神で、都志八幡原つしやたばら(現五色町)より移されたと伝える。一〇月一一日の例祭に行われる檀尻の練り込みはことに勇壮で大勢の人出で賑わう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android