屋城跡(読み)あしやじようあと

日本歴史地名大系 「屋城跡」の解説

屋城跡
あしやじようあと

[現在地名]浜坂町芦屋 城山

芦屋集落の西側、標高一七九メートルの山頂にあり、東に浜坂港、南西諸寄もろよせ港を眺望する地を占める。但馬守護山名氏家臣塩冶氏の居城で、諸寄城ともよばれた。城域は東西約三九六メートル・南北約四六四メートルあり、主郭部(本丸)と副郭部(二の丸)のほぼ二つの城砦群からなる。主郭城砦群は東西約七七メートル・南北約二一メートルもある広大な主郭と、四方向に延びる尾根の小曲輪群からなる。主郭北側には岩盤を削り残した高さ約三メートルの土塁と径二・五メートル、深さ二メートルほどの岩盤を彫込んだ井戸跡と推定される穴がある。副郭城砦群は東西約六一メートル・南北約一三メートルの副郭・帯曲輪と小曲輪群からなる。縄張りから判断すると小曲輪群で構成されていた城を、戦国期に主郭部・副郭部を中心にして改修したものであろう。なお主郭部は昭和五九年(一九八四)にテレビアンテナ中継局設置工事に伴って発掘調査が行われ、掘立柱建物跡二棟(一棟は六間×七間、一棟は一辺五間以上)・溝状遺構・土壙遺構などが検出され、硯・刀子・白磁片・青磁片・天目片・土師皿・鉄釘・北宋銭などが出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報