尾崎 秀実(読み)オザキ ホツミ

20世紀日本人名事典 「尾崎 秀実」の解説

尾崎 秀実
オザキ ホツミ

昭和期のジャーナリスト,中国問題評論家



生年
明治34(1901)年4月29日

没年
昭和19(1944)年11月7日

出生地
東京市芝区伊皿子町(現・東京都港区)

別名
筆名=白川 次郎,欧佐起

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部〔大正14年〕卒

経歴
幼少時を台湾・台北で過ごす。一高、東大を経て、大正15年東京朝日新聞社に入社。昭和2年大阪朝日新聞社に移り、中国問題研究会を結成。3年上海支局員として中国に渡り、4年スメドレー女史を通じてリヒャルト・ゾルゲに出会う。7年帰国後、ゾルゲと再会。9年東京朝日に移り、新設の東亜問題調査会に所属、中国問題評論家として活躍。12年研究会に参加。13年朝日新聞社を退社し、7月第1次近衛内閣嘱託となり中国政策に関与。14年6月満鉄調査部嘱託。16年10月国際諜報団事件(ゾルゲ事件)でコミンテルンスパイとしてゾルゲとともに国防保安法・治安維持法等違反で検挙され、19年11月東京拘置所で処刑された。著書に「現代支那論」「支那社会経済論」、戦後ベストセラーとなった獄中から家族に宛てた書簡集「愛情は降る星のごとく」など。「尾崎秀実著作集」(全5巻)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「尾崎 秀実」の解説

尾崎 秀実 (おざき ほつみ)

生年月日:1901年4月29日
昭和時代の政治運動家;中国問題研究家
1944年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報