小西町(読み)こにしまち

日本歴史地名大系 「小西町」の解説

小西町
こにしまち

[現在地名]南区島之内しまのうち二丁目

東横堀ひがしよこぼり川西側の浜側通に面した南北の片側町で、鰻谷うなぎだに一丁目の南にある。間に九之助橋くのすけばし通・清水町しみずまち筋を挟み、周防町すおうまち筋の角まで。もとは堀詰材木ほりづめざいもく町といった(初発言上候帳面写)。万治三年(一六六〇)伏樋に関する覚(安井家文書)では材木町となっており、小西町になったのはこれ以降である。堀詰とは道頓堀開削以前の東横堀川の堀詰の意であろう。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数一六・役数一七役で、うち年寄分一役が無役。年寄は壺屋九左衛門。伏樋一六町組の一町で(→九之助町一丁目、万治三年の伏樋設置のときは一五匁を負担(安井家文書)、享和二年(一八〇二)以後は伏樋入用一貫目につき二一匁一分五厘の割で負担(「十六町組水道伏樋一件控」中之島図書館蔵)

小西町
こにしちよう

[現在地名]奈良市小西町

東向南町ひがしむきみなみのまちの西に所在。「奈良曝」に「かハら釜町と一ツニ合而町役廿四軒半」とあり、瓦釜かわらがま町ともいう。東西の小路を不開門あかずのもん通という。建仁二年(一二〇二)八月一三日の興福寺別会所下文案(大乗院記録秋)西不開御門にしあかずのごもん郷がみえ、西御門にしみかど郷とともに春日若宮祭礼の細男頭役に任ぜられている。南都七郷の一つ西御門にしみかど郷のうちに「小西」があり、中世は興福寺寺務の支配下にあった。同記延徳三年(一四九一)一一月五日条に「後夜時分小西大焼亡」とあり、明応九年(一五〇〇)二月一〇日には小西町から西南院・猿沢池辺りにかけて大辻風が吹き、民家が破損している。

興福寺流記に「南長者門 前四町植四季花、為供仏料、宝字記云南花薗四坊、在池一堤、天平記云名佐努作波、又云以西瓦屋一区」とあり、興福寺南大門前を東西に通る三条大路と寺地西端の六坊大路との交点付近に「西ノ瓦屋」があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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