小袋村(読み)おぶくろむら

日本歴史地名大系 「小袋村」の解説

小袋村
おぶくろむら

[現在地名]三光村小袋

八面はちめん山西麓にあり、西は土田つちだ村、北は臼木うすぎ村。正応二年(一二八九)一二月五日の沙弥西見譲状(櫛野文書)によれば「豊前国諫山郷得万・四郎丸内田屋敷」が西見から小袋五郎左衛門尉雄輔に譲られている。「下毛郡誌」は「小袋は昔、大島小島と称する地なり、漸次蕃栄し、山麓高柳と称する高地ありて、小袋氏住す。依て此の名あり、伝へ云ふ、こは宇佐宮に仕へし社人なりしと」し、「宇佐郡誌」に小袋遠江守・同新助、「中津川軍記」に小袋遠江守・小袋安芸守がみえ、いずれも天正一六年(一五八八)長岩ながいわ(現耶馬渓町)籠城に加わったという。到津文書・永弘文書に小袋を姓とする者が散見され、宇佐宮の中級宮司としてみえることが多い。

小袋村
こぶくろむら

[現在地名]小山市小袋

巴波うずま川左岸にあり、北は上河原田かみかわらだ村、西は下河原田村。天正九年(一五八一)七月三日の北条氏照感状(安良岡文書)に「小袋之郷」とみえ、安良岡舎人の当地での戦功が賞されている。寒川さむかわ郡に属し、慶長年中(一五九六―一六一五)小山藩領、元和五年(一六一九)下総古河藩領。慶安郷帳では田方五九四石余・畑八九石余。日光街道間々田ままだ宿の定助郷六八四石を勤めた(寛保元年「間々田宿助郷帳」上原幸一文書)。文化一二年(一八一五)の家数五五・人数二三七(「人別書上帳」岩下久彦文書)。天保(一八三〇―四四)頃の古河藩領村明細帳(茨城県潮田文書)によれば高七六八石余、うち新田八四石余、反別は田六一町一反余・畑二五町四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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