小木村(読み)おぎむら

日本歴史地名大系 「小木村」の解説

小木村
おぎむら

[現在地名]小木町小木・小木町・琴浦ことうら

宿根木しゆくねぎ村の東、東に小木町おぎまち村が続く。集落は宿根木寄りから海岸沿いに琴浦・虫谷むしや元小木もとおぎと続き、元小木の北に上野うわのがある。小木町村安隆あんりゆう寺の三十番神の石造物に、永禄九年(一五六六)四月一三日紀銘で「願主 佐州羽茂郡小木津の住人 高津新左衛門尉季文」と刻される。小木津おぎのつは元小木のとよぶ入江をさす。弘安八年(一二八五)六月一日の佐渡守護北条宣時下知状(河崎村史料編年志)に本間宣定の領地としてみえる木浦きのうらの中心地と考えられ、海潮かいちよう寺の寺地に木野浦きのうら城があったという。ただし、同史料は検討を要する。

元禄七年(一六九四)検地帳(元小木区有)では田六町一反余・畑二五町五反余。屋敷持は八四筆で地字上野・虫屋・舟蔵・はま・河はたなどにある。耕地のうちに垣ノ内・城内・馬場・野城・城口・木戸頭ら・堀などの古集落や城館にかかわる地字がみえる。

小木村
おぎむら

[現在地名]内浦町小木・小木一―三丁目

市之瀬いちのせ村の南にあり、東部の九十九つくも湾のほか金剛こんごう崎・御舟みふね崎など天然の港湾地形に恵まれる。「能登志徴」は小木浦・小木湊と記し、「三州一の澗所」といい、古代の渤海使の着岸は当地と推定している。地名は「おうぎ」とも。冷泉為広の「能州下向日記」によると、永正一五年(一五一八)三月二六日に為広は「小木」に一泊、「加治ノ新二郎知行也」と注記している。戦国後期頃の能登内浦村々給人注文写(諸橋文書)には「荻」「岩来」とみえ、やはり加治氏の知行であった。岩来は現在の岩城。また小木から海路越後に赴いていることから、小木が奥能登の重要な湊であったことがうかがえる。また同日記には小木の山寺金輪坊は京都東寺の法流なればとてと詠歌が記されている。地内の法融ほうゆう寺蔵の大永四年(一五二四)七月一日下付阿弥陀如来絵像裏書に「松岡寺門徒能州鈴郡若山庄小木浦」とあり、加賀本願寺教団の中心寺院である松岡しようこう寺門徒の存在が知れる。

正保郷帳に村名がみえ、高一二一石余、田四町九反・畑三町二反余。

小木村
おぎむら

[現在地名]出雲崎町小木

吉水よしみず村下吉水の西。日本海岸より中山なかやま村、あら城跡のある稲川いながわ村・船橋ふなばし村を経て後背の小木城跡へ結ばれる道と島崎しまざき川に沿って走るはま街道とが交差する交通の要衝。小木城主荻(小木)氏の館があったと考えられており、たて蔵屋敷くらやしき古屋敷ふるやしき鍛冶屋敷かじやしき上町かんまち中茶屋なかぢややなどの地字がある。応永一八年(一四一一)八月一九日の居多神社社領注文(居多神社文書)に「西古志内」として「六段 於木安丸税所給」が「乙面」と並んで記され、居多こた神社(現上越市)が当地に社領を有していた。

正保国絵図に高九七石余で幕府領。その後高田藩領となったとみられるが天和三年郷帳に記載はない。元禄一四年(一七〇一)高田藩稲葉氏が下総国佐倉藩に所替えとなって以後天明六年(一七八六)まで稲葉氏の脇野町わきのまち陣屋支配が続いた。

小木村
おぎむら

[現在地名]多治見市諏訪町すわちよう

南流する土岐川西岸にあり、可児かに郡の最南端に位置する。東は川を隔てて尾張国春日井かすがい下半田川しもはだがわ(現愛知県瀬戸市)、南西は山を境として同郡外之原とのはら(現同県春日井市)。北から流れる土岐川支流三之倉さんのくら川に中央を東流する諏訪川が合流。伝承によると木曾義仲の家臣今井四郎兼平の一族が当地に逃れ来たのが村の始まりといい、山の中腹の平坦地には的場まとば馬乗うまのりなどの地名が残る。

小木村
こきむら

[現在地名]小牧市小木

東は小針おばり村、西は岩倉いわくら(現岩倉市)、南は藤島ふじしま村、北は舟津ふなつ村などと接している。織田信雄分限帳によれば「拾五貫文 こきの郷 山川千」とある。天保の村絵図によると、新田が散在している。地区の北端の織田井戸おだいど狐塚きつねづかから小牧の御園みその・舟津にかけては、先史時代の遺跡が分布している。甲屋敷こうやしき宇都宮うつのみや浄音寺じようおんじ山の各古墳など、市内では他に例をみないほど大きい。

「徇行記」によれば、田は六〇町六反六畝余、畑は二四町一畝余、概高一千四四九石余のうち五二八石余が藩士八人の給知。ほかに新田が計七九石余。

小木村
おぎむら

[現在地名]多治見市北小木町きたおぎちよう

根本ねもと村の西にあり、北は華立はなたて峠を越えて大藪おおやぶ村。北小木川が南西へ流れ、峰伝いに西方八曾はつそ(現愛知県犬山市)へ出る道がある。村名は「こぎ」ともよばれる(元禄郡高寄帳など)。根本村枝郷で、正保郷帳に小木村とみえ旗本林領。田高六三石余・畑高二〇石余、山年貢一石余。柴山・草山がある。慶応四年(一八六八)村明細帳では家数三八・人数一三九・僧一、馬二。

小木村
こうぎむら

[現在地名]伊勢市小木町

勢田せた川下流西岸にあり、阿竹あたけ村の西にある。集落の南と東を宮川の支流檜尻ひのきしり川が東北流している。至徳三年(一三八六)一一月二六日の度会石子等畠地施入状(光明寺古文書)に加えられた異筆の書込みに「小木郷」がみえる。伊勢神宮領で山田付属の村であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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