封建反動(読み)ほうけんはんどう(英語表記)feudal reaction

日本大百科全書(ニッポニカ) 「封建反動」の意味・わかりやすい解説

封建反動
ほうけんはんどう
feudal reaction

資本主義の台頭による農奴制すなわち広義の封建制の崩壊を防ぐため、領主がとった対策。16世紀ごろのフランスに顕著で、領主の個別的対策と、集団的対策とに分けられる。個別的対策のおもなものは、直領地の拡大による地代収入増加策である。すなわち、領主は旧直営地をとくに高率の折半地代をとって貧農に貸した「直領地」(ドメーヌ・プロシュdomaine proche)を基礎とし、没落農民からその保有地を奪って、これを改めて折半地代および定期小作の条件で貸した。こうして地代率低下の傾向にある農民保有地(永代小作地)と折半小作地との地代差が、領主の収入増となった。次に集団的対策は、絶対主義の構築で、領主は自己の荘園農民に対する裁判権などを国王に譲り、国王を中心に領主階級の力を結集した。それは一面では国王主導の政治運動であったが、底流として個々の領主に危機感が強く、そのため運動がいちおう成功したといえよう。

 イギリス絶対主義の成立も、封建反動の結果であった。また両国における絶対主義の成立に対応して、プロイセン、ロシアなど後進国で君主権が強化されたのも、封建反動の余波といってよい。

[橡川一朗]

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旺文社世界史事典 三訂版 「封建反動」の解説

封建反動
ほうけんはんどう
feudal reaction

中世ヨーロッパ末期に危機に直面した封建領主による支配の強化・建て直し
14〜15世紀の西ヨーロッパでは,貨幣経済進展による賦役の金納化,黒死病の流行や戦乱による農村人口の激減などで農民層の地位が高まったため,領主は困窮化した。そこで,領主は賦役の復活や農奴制の再編などにより,かつての領主・農民関係を取り戻そうとした。再び負担が重くなることに反発した農民は,大規模な農民一揆で対抗した。フランスのジャックリー(1358)やイギリスのワットタイラーの乱(1381)がその代表。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「封建反動」の解説

封建反動(ほうけんはんどう)
feudal reaction

商品生産,流通の一定度の展開により,封建的諸関係が解体あるいは弛緩したのち,旧封建的土地所有者が,こうした商品生産,流通の指導権を手中に収め,逆に,新しい形態で農民支配を強化し,封建的諸関係を再編成する事態をさす。イギリスでは13~14世紀,フランスでは16世紀以降,オストエルベでも16世紀以降封建反動が行われたと考えられている。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報