対馬島分寺跡・対馬国分寺跡(読み)つしまとうぶんじあと・つしまこくぶんじあと

日本歴史地名大系 の解説

対馬島分寺跡・対馬国分寺跡
つしまとうぶんじあと・つしまこくぶんじあと

[現在地名]厳原町今屋敷

金石かねいしにある古代島分寺(中世は国分寺)の跡。対馬島分寺の創建は天平九年(七三七)とも(対州編年略・津島紀事)、同一三年ともいうが(対馬島誌)、「続日本紀」同一七年一〇月五日条などによれば、国分僧尼両寺に充てる費用を諸国の正税を出挙としてその利息をもって賄うとし、壱岐島分寺は肥前国がこれを充当することになったが、対馬はこの限りではないという。天平勝宝七年(七五五)対馬などの「島分寺」を含む薩摩国・壱岐島など西海道五ヵ国島の講師が停止され(斉衡二年一一月九日「太政官符」類聚三代格)、同八年二六ヵ国の国分寺に灌頂幡などが支給されたとき、大宰府管内では対馬を含むこれら西海道五ヵ国島はその例から除かれ(「続日本紀」天平勝宝八歳一二月二〇日条)、なおその造寺が定まっていなかったらしい。斉衡二年(八五五)一一月九日停止されていた講師を復活(前掲太政官符)、この段階までに島分寺として整ったことが知られる。

天安元年(八五七)の変で島分寺は炎上したとされるが、「三代実録」貞観七年(八六五)五月八日条に「対馬島分寺三綱供」とあり、その費用に三宝布施大豆一〇〇石の利息を充てるとしており、また同一七年大宰府に「対馬島分寺」料幡一六旒を作って島司に与えるよう太政官が命じており(同書同年三月一三日条)、島分寺の法灯が続いていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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