宮木村(読み)みやきむら

日本歴史地名大系 「宮木村」の解説

宮木村
みやきむら

[現在地名]辰野町大字伊那富いなとみ 宮木

宮所みやどころ村の南、楡沢にれざわ山の麓の扇状地上の村で、東は天竜川をもって平出ひらいで村と接する。

永禄三年(一五六〇)六月一三日の武田信玄安堵状(矢島文書)に「上諏方権祝領之事(中略)一、五拾七貫文 伊那宮木之郷」とある。

扇状地の中央に諏訪神社の森があり、その周りに村が広がっているので宮原みやはら村とも称した(明暦元年矢島定次神道裁許状)。諏訪社上社に属し、三月会の御頭にあたったことが、永禄五年の御頭帳や同一三年の御頭役請執帳にみえる。

宮木村
みやきむら

[現在地名]中富町宮木

下田原しもたんばら村の南、波高島はだかじま(現下部町)の北に位置する。西境富士川に臨み、西河内にしかわうち飯富いいとみ村に対する。小名に八ッ沢やつざわ小田原おだわら大子だいごがある(甲斐国志)近世には八代郡東河内領に属した。慶長古高帳には高八〇石余で幕府領の「宮脇村」の記載がある。これが宮木村のことであろうか。延宝六年(一六七八)検地帳(県立図書館蔵)では高一六六石余、屋敷地名請人は七〇人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報