伊那往還(読み)いなおうかん

日本歴史地名大系 「伊那往還」の解説

伊那往還
いなおうかん

伊那谷から三河(現愛知県)に通ずる道で、武田信玄が軍用道路として用いている。そして天正二〇年(一五九二)極月三日の篠治秀政判物や翌文禄二年(一五九三)一一月一九日の京極高知定書(ともに関川文書)によれば、飯田領主毛利・京極時代(一五九一―一六〇〇)宿場としての制度化が始められたものと考えられる。そして慶長七年(一六〇二)に中山道に伝馬制がしかれたことに伴って、これを幹線として幾つかの枝道が発達した。この道は中山道の脇往還で、一般には伊那街道とか三州さんしゆう街道とかよび、宿駅には問屋を置き問屋役人が人馬の継立てにあたった。全線を通じての統一的な支配はなく、所属の藩や陣屋ごとの支配下にあった。

伊那往還の経路は、北国西脇往還郷原ごうばら宿(現塩尻市)の北方原新田はらしんでん(現塩尻市)で北国西脇往還と分れて塩尻しおじり宿(現塩尻市)に至り、更に中山道と分れて南へ進み、善知鳥うとう峠を越え伊那谷を縦貫して三河国岡崎宿(現愛知県岡崎市)に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報