宮ヶ島村(読み)みやがしまむら

日本歴史地名大系 「宮ヶ島村」の解説

宮ヶ島村
みやがしまむら

[現在地名]婦中町宮ヶ島

神通川中流左岸と井田いだ川中流右岸の中間地点に位置し、北は田島たじま村、西は下板倉しもいたくら村。元和八年(一六二二)の前田利光印判状(岡崎家文書)に村名がみえる。正保郷帳では高二六〇石余、田方一二町九反余・畑方四町四反余。享保六年(一七二一)の高二六八石余(「村付高改帳」島倉家文書)。寛政二年(一七九〇)の古高二六八石余・定免三ツ七歩、新田高一三石余・平均免一ツ七歩一厘余、銀納畑一千一六歩・代銀一五匁二分四厘があり、小物成銀五匁(高物成品々手鏡)。なお水損によると考えられる永引が享保一三年から宝暦八年(一七五八)まで二回にわたって計五石九斗余ある(「富山藩高成物帳」斎藤家文書)

宮ヶ島村
みやがしまむら

[現在地名]掛川市寺島てらしま

遠江国風土記伝」に宮箇島、天保郷帳に宮嶋と記される。原野谷はらのや川とその支流西之谷にしのや川が合流する右岸にあり、南は寺田てらだ村。これより北の諸村には島のつく名が多い。いずれも渓間の村落で、「掛川誌稿」に「其水蜿々として、左に転し右に繞り、前に流れ後に去る、故に山に背きて左右水に隔てらるゝものは、大概某島と名く、是なほ島嶼の波濤の中にありて、隣地と相接せざるものに似てなり」と記される。

宮ヶ島村
みやがしまむら

[現在地名]八尾町宮ヶ島

竹之内たけのうち村の西方室牧むろまき川左岸にある。慶長八年(一六〇三)二月の前田利長知行所付(「神尾氏等判物写」加越能文庫)に「宮ケ島村」とみえ、高二三石余が改田小左衛門尉の知行となっている。正保郷帳に村名がみえるが、村高は尾畑おばたけ村と合せて九九石余、田方一町一反余・畑方五町四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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