宝福寺跡(読み)ほうふくじあと

日本歴史地名大系 「宝福寺跡」の解説

宝福寺跡
ほうふくじあと

[現在地名]川辺町清水

くまヶ岳(五八九・七メートル)中腹にあった曹洞宗寺院。やま(ヤマノテラ)とも称された。金鐘きんしよう(現市来町)末で、忠徳山洞岳院と号し、本尊釈迦如来開山は覚卍字堂(三国名勝図会)。覚卍は伊集いじゆう院の生れで、懐妊した母の胸に卍印が現れたので名に用いたという。京都南禅寺で就学、帰郷して伊集院谷口たにぐち(現伊集院町・松元町)樋脇市比野ひわきいちひの(現樋脇町)で修行。

宝福寺跡
ほうふくじあと

[現在地名]水沢市佐倉河 下河原

江刺へ向かう旧道沿いの南、吹張ふつぱりにある。いまは水田となり、わずかに古墓が散在する。寛永一二年(一六三五)下河原しもがわら村郷士北郷氏の発願で、伊達家臣駒木根杢兵衛所有の吹張の地に永徳えいとく(現胆沢郡金ヶ崎町)一五世出叟永運を開山とし、曹洞宗法王山宝福寺が建立されたが、鶴庵全賀以後無住寺となり、しかもしばしば火災にあい久しく再建できず、無檀無禄になっていた。再建不能の理由には火災のみならず、開基檀越の北郷氏の改易があった。北郷氏は岩城家一門であったが、のち伊達家臣として下河原村に居住し、北郷荘太夫隆次は寛文三年(一六六三)老中阿部豊後守の命により、伊達家臣原田甲斐の長女を娶った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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