川辺町(読み)かわなべちよう

日本歴史地名大系 「川辺町」の解説

川辺町
かわなべちよう

面積:一二七・三五平方キロ(境界未定)

加世田市と枕崎市によって東西に二分された川辺郡の東側北西部に位置する。薩摩半島のほぼ中央部にあたる。南東知覧ちらん町、南は枕崎市、北西は加世田市・日置郡金峰きんぽう町、北東は鹿児島市に接する。鹿児島市と枕崎市を結ぶ国道二二五号が通り、主要地方道が知覧町・加世田市へ通じている。広瀬ひろせ(万之瀬川)が川辺盆地を貫流し、上流では清水きよみず川とよばれる。野崎のさき川を合せると広瀬川とよばれ、神殿こうどの川・小野おの(麓川)高田たかた(永里川)などを合流して加世田市へ流れ、勝目かつめ地区を流れる大谷おおたに川は加世田市域で万之瀬まのせ川に合流。遺跡は同川の周辺台地に点在する。縄文時代の遺跡は草創期の炉跡が上山田の鷹爪野かみやまだのたかつめの遺跡で見つかっている。永田の永田西ながたのながたにし、清水の小崎こざき神殿荻久保おぎくぼなど早期の遺跡は多く、小崎遺跡では貝や獣骨なども採集されている。田部田の廻り淵たべたのまわりぶち南田代みなみたしろの遺跡などでは前期の土器石器が多く見つかっており、南田代遺跡では状耳飾も採集された。

川辺町
かわべちよう

面積:四〇・七〇平方キロ

旧加茂郡の中央部にあたり、平均標高七〇メートル以上、総面積の六七・三パーセントは山林が占める。飛騨川が町の中心を北東から南西に流れ、その両岸の河岸段丘上の台地に耕地・宅地がある。北は七宗ひちそう町、東は八百津やおつ町、南と西は美濃加茂市。「和名抄」の賀茂かも生部みぶ郷・川辺かわのべ郷・駅家うまや郷を町域内に比定する説、下麻生しもあそうに加茂駅が置かれたとする説がある。古くから美濃・飛騨を結ぶ交通の要路として発展した。近世に入って林業が盛んになると、下麻生は飛騨川の綱場として、飛騨国、郡上ぐじよう郡、苗木なえぎ領から流す材木の集散地として発展した。

川辺町
かわべちよう

面積:七六・一二平方キロ

町のほぼ中央を東北から西南へ日高川が大きく蛇行して流れ、西は御坊市、南は印南いなみ町、東は中津なかつ村、北は有田郡広川ひろかわ町に接する。北に白馬しらま山脈、南に真妻まづま山と、いずれも標高五〇〇メートルを超える山があり、そこから流れ出る中津・千津せんづ土生はぶ藤野とうのの諸河川と伊藤川いとご江川えかわ川が日高川に合流する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「川辺町」の意味・わかりやすい解説

川辺〔町〕
かわべ

岐阜県南部,飛騨川下流域にある町。 1897年町制。 1955年上米田村と合体,56年下麻生町の一部を編入。江戸時代には河港として繁栄。下麻生地区は筏流しの起点で,木材の集散地として栄えた。山林が広く,食品加工業,木材,家具などの木工業がある。飛騨川流域は飛騨木曾川国定公園に属し,川辺ダムと発電所がある。川沿いを国道 41号線 (飛騨街道) ,JR高山本線が通る。面積 41.16km2。人口 9860(2020)。

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