官符衆徒(読み)カンプシュト

デジタル大辞泉 「官符衆徒」の意味・読み・例文・類語

かんぷ‐しゅと〔クワンプ‐〕【官符衆徒】

室町時代、奈良興福寺衆徒代表機関である衆中(20名)のこと。官符によって任命される興福寺別当・権別当・三綱被官であったところからいう。寺中兵力中心であった。

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精選版 日本国語大辞典 「官符衆徒」の意味・読み・例文・類語

かんぷ‐しゅと クヮンプ‥【官符衆徒】

〘名〙 中世、奈良興福寺の衆徒の代表。衆徒の中から器用の者二〇人を選んで任命した。官符によって任命される寺務、権別当、三綱の被官であったところからいう。衆徒を統制し、支配し、寺務の命をうけて七郷以下の寺社検断を行ない、神事法会などを奉行した。任期原則として三年。官務衆徒。衆中(しゅうちゅう)かんぷ
大乗院寺社雑事記‐延徳二年(1490)一二月「仍号官符衆徒者此二十人也、一任三个年也」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「官符衆徒」の意味・わかりやすい解説

官符衆徒
かんぷのしゅと

奈良興福寺の衆徒 (僧兵) の称。興福寺別当,権別当,三綱が官符で補任されるためこの名で呼ばれる。衆徒のうちで 20人が4年を1期とし,官符衆徒あるいは衆中と呼ばれて,興福寺で警察権の執行にあたった。足利義満のとき,その最有力者を棟梁としたので,官符衆徒とか官符というと,この棟梁の名称となり,やがて大和大名としての待遇が与えられて,衆中を支配し興福寺の実権を握った。

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世界大百科事典(旧版)内の官符衆徒の言及

【僧兵】より

… ところが南北朝内乱期を境として,僧兵の様相に変化がみられた。すなわち〈武門一行之衆徒〉として,延暦寺に〈大名山徒〉,興福寺に〈官符衆徒〉等が現れ,寺内・寺領の保全を任務として,しだいに寺内で権勢を握るようになった。そして室町時代以降の相次ぐ戦乱下に,次々と寺領を失った諸大寺にとり,もはや多数の僧侶を擁することは不可能となり,その一方で大和筒井氏のような,〈官符衆徒〉より戦国大名に成長する法体の武将の活動の陰で,僧兵は寺内に存続する基盤と存在理由を喪失した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」