宗部郷(読み)そがべごう

日本歴史地名大系 「宗部郷」の解説

宗部郷
そがべごう

和名抄」高山寺本は「宇部」、東急本は「宗部」と記し、高山寺本は「曾加へ」、東急本は「曾加倍」と訓ずる。大豊おおとよ豊楽ぶらく寺薬師堂の旧本尊薬師如来の仁平元年(一一五一)八月四日付胎内銘に「宗我部」「宗部」がみえる。「土佐幽考」は「比江・国分・八幡三村是也、中葉秦氏居宗部郷豊岡城、以長岡郡宗部長曾我部氏、国分村国分寺在処比江村古国府也、村後山有日吉社、故為名天正年中秦氏地検帳題当村衙府中、村南有(庁)」と記し、郷内に国府があり、国分寺などがあったとする。「大日本地名辞書」も現南国市中央部にあたる「土佐幽考」の比定地を中心に、その周辺部を含めた「岡豊村、長岡村、国府村等の地是なり」とし、「中世香美郡宗部に対し、長曾我部と称す、国府此に在りき、江村大曾二郷の北に接す」と記す。

宗部郷
そかべごう

「和名抄」にみえる。高山寺本・刊本とも訓を欠くが、土佐国長岡ながおか郡宗部郷を刊本は「曾加倍」と訓じる。丹波国桑田郡に「宗我部郷」、同多紀郡に「宗部郷」がある。「天孫本紀」に玉勝山代根古命の子孫として蘇宜部首が出、六人部氏も同族という。六部むとべ郷は当郷の東に位置する。よって蘇宜部と関係があるかもしれない。

天田郡宗部郷については寿永三年(一一八四)三月日付の源義経宛感神院所司等解(神田孝平氏所蔵文書)に次のようにみえる。

宗部郷
そがべごう

「和名抄」所載の郷。同書高山寺本・東急本・名博本ともに訓はない。平城京跡出土木簡に「(表)丹波国多紀郡宗部□」「(裏)戸主和尓部黒麻呂庸」とみえ、奈良時代の居住氏族が判明する。永治元年(一一四一)八月二五日の鳥羽院庁下文(九条家文書)多紀庄の所在地として「多紀郡宗我部郷并草南条両郷内」とあり、一方、同庄には「泉村」が含まれていたから(年月日未詳「僧某譲状案」同文書)、現いずみ地点が郷内または隣接地と考えられる。

宗部郷
そかべごう

「和名抄」高山寺本は「宇部」とする。東急本・高山寺本とも訓を欠く。「日本地理志料」は「曾加倍」と訓を付し、あるいは「宅部」かとして、現玉名市南東部から現玉名郡玉東ぎよくとう町一帯の旧山北やまきた郷一帯をこれにあてる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報