安食庄(読み)あじきのしよう

日本歴史地名大系 「安食庄」の解説

安食庄
あじきのしよう

名古屋市北区・春日井市西南部・西春日井郡東南部辺り一帯。尾張国春部かすがべ郡に属し、庄内川・矢田やだ川の合流点より上手の流域一帯を主要部とする醍醐寺荘園。自然堤防と後背湿地が交錯する卑湿な氾濫原で、合流点付近には両河川の流路変遷の跡がみられる。この荘園は康治二年(一一四三)八月一九日付官宣旨案(醍醐寺文書)に引く灌頂院(三宝院)解に「件庄者、元是統正王所領也、而以延喜十四年、永所被奉施入醍醐(寺修理脱カ)料也、□□(仍為)寺領暦多年之間、狼戻国司不顧罪根、(恣カ)停廃、爰去四月比、調度公験訴申入道(藤原忠実)殿下之処、如旧被興立寺庄畢」とあり、延喜一四年(九一四)統正王により醍醐寺修理料として施入されたことに始まる。前関白藤原忠実によりこの年四月もとの四至に任せて寺荘として興立され、同寺修理料ならびに鳥羽法皇御願の灌頂院毎年一度結縁灌頂衆等布施に地利をあてることになった。

安食庄
あじきのしよう

現豊郷町安食西あんじきにし・安食南・三ッ池みっいけおよび彦根市太堂たいどう町・にれ町・安食中町一帯に比定される天台宗梶井門跡領庄園。文永六年(一二六九)一〇月七日の六波羅下知状(多賀大社文書)に安食庄とみえ、多賀社の祭礼に神事役を務めない庄園であった。正中二年(一三二五)一一月二五日、承鎮法親王円徳えんとく(三千院)領「犬上庄高宮郷安食郷」を尊雲法親王(後醍醐天皇の子護良親王)に譲っており、もとは犬上庄に属したと考えられる。降って文和二年(一三五三)佐々木五郎左衛門尉(山内定詮)が違乱に及んだ梶井宮門跡(三千院)領のうちに当庄の名がみえる(「梶井宮門跡領違乱所々注文」菅浦文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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