安祥城跡(読み)あんしようじようあと

日本歴史地名大系 「安祥城跡」の解説

安祥城跡
あんしようじようあと

[現在地名]安城市安城町 城堀

北から南に延びた洪積台地の端にある戦国期の平城跡。松林に囲まれている。西隣に城堀しろぼり地名がある。古図によると、本丸は東西南北各三〇間、背後に深田を控え、前面は東西三〇間余の田になっており、東側に士族屋敷がある(三河国名所図絵)。永享一二年(一四四〇)和田遠江守親平が築城と伝える。もと尾張の守護代織田氏の持城であった。文明三年(一四七一)松平和泉守信光が攻取り、その子左京亮親忠の居城とした(三河物語)城主は、そののち長親・信忠・清康と続いた。「三河国二葉松」に「安城古城を城森といい、松平親忠より四代在城し、安祥と号す」とある。四代五〇余年の間、松平氏代々の居城となり、いわゆる「安祥譜代」の将士が育成された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報