安平村(読み)あびらむら

日本歴史地名大系 「安平村」の解説

安平村
あびらむら

[現在地名]勇払ゆうふつ早来大町おおまち栄町さかえまち北町きたまち・字安平・字遠浅とあさ・字瑞穂みずほ・字緑丘みどりおか・字守田もりた・字東早来ひがしはやきた・字北進ほくしん・字新栄しんえい・字源武げんぶ・字富岡とみおか追分おいわけ中央ちゆうおうなど

明治三三年(一九〇〇)七月から昭和二九年(一九五四)九月までの村。勇払郡の勇払村と植苗うえなえ村の各一部が合併して成立。一村をもって戸長役場を設置。村域は現在の早来町と追分町で、村内中央を安平川が流れる。明治二五年北海道炭礦鉄道室蘭線(現JR室蘭本線)開通し、夕張支線(現JR石勝線)との分岐点である追分駅周辺の発展があり、同二七年に早来駅も設けられた。同年苫小牧尋常小学校植苗分校(現追分町の追分小学校)、同三〇年同早来分校(現早来町の早来小学校)、同三一年同鳥取分校(現同町の瑞穂小学校)開校。明治二九年に早来・追分両郵便局が開局。同三〇年遠浅駅・安平駅が開業し、以来各駅を中心として追分・安平・早来・遠浅の四市街を形成した。同年追分駅西側にコークス製造場を設置、各駅に角材枕木が積出され、駅前土場(貯木場)が設けられた。同三七年早来―厚真あつま(現厚真町)間に馬車鉄道が開通。一方、明治三〇年に真宗大谷派早来説教場(同四三年安養寺と寺号公称)、同三一年には曹洞宗早来説教所(同四〇年瑞雲寺と寺号公称)が創設された。

安平村
やすひらむら

[現在地名]甲佐町安平

緑川右岸にあり、西は上揚かみあげ村、北は小鹿おが村、緑川の対岸には小村井戸江いとえがあり、その南東の鎌倉山(三七〇・九メートル)は下益城郡名越谷なごしたに(現砥用町)との境になっている。近世は甲佐手永に属し、「国誌」に「井戸江村簗瀬村等小村アリ」とあり、宝暦一二年(一七六二)の甲佐手永手鑑では竈数一二・男五九・女五四、牛六、渡舟一で井戸江渡があり本村と連絡している。本高一九五石六斗余、田四町七反一畝余・畑一二町八反七畝余、新地田畑二反一畝余、諸開(野開・苅野・剪開・請藪)一町七反余と茶床がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報