安久津村(読み)あくつむら

日本歴史地名大系 「安久津村」の解説

安久津村
あくつむら

[現在地名]高畠町安久津

高畑たかはた村の東方に位置。阿久津とも記し(米府鹿子)、川添平地をさす地名といわれる。集落は屋代やしろ川の細長い堆積地を東西に走る二井宿にいじゆく街道沿いに形成されているが、村域は北方の屋代川支流蛭沢びるざわ川沿いの山中一帯に及ぶ。同川に沿う蛭沢には米沢藩の口留番所が置かれていた(元禄二年「先規口留番所之覚」市立米沢図書館蔵)。当地には考古遺跡が多く、いちさわ岩陰遺跡・神立かんだち洞窟遺跡・加茂山かもやま岩陰遺跡・鳥居町とりいまち古墳群などがある。中世には八幡宮が勧請され、屋代庄鎮守として崇敬された。同宮の鳥居前、二井宿街道沿いは戦国期から町場化していたとみられ、江戸時代には鳥居町とよばれ、その東に続く駄子だんご町とともに街村を形成していた。

天文二二年(一五五三)の晴宗公采地下賜録によれば、「いちのはさまの内、堀こしゑもん分、ミそねさいけ、同せう八幡下町屋しき八間下」が横越四郎に与えられているが、この「八幡下町屋しき」がのちに鳥居町に発展。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報