宇野庄(読み)うののしよう

日本歴史地名大系 「宇野庄」の解説

宇野庄
うののしよう

一〇世紀後半の宇智郡内の栄山えいさん寺領のうちのあだ鵜野うの村に墓山地二八〇町があったが、そのほとんどは墓山で、水田は二町三段であった。この二町三段が鵜野村を形成していたものであろう。現宇野町に比定される(→栄山寺領

その後、康和三年(一一〇一)の勧学院政所下文(栄山寺文書)には「故頼俊朝臣女子訴申田地事」のなかで、栄山寺が「年来領知之間、故陸奥前司頼俊朝臣以従者成宿院司、横令負取多寺領」とみえるが、これによると、頼俊は部下を宿院しゆくいん役人(→宿院負田となし、彼をして栄山寺領を押領せしめた経緯がうかがえる。頼俊は一一世紀前半大和守であった源頼親(橿原市の→高殿庄の孫にあたる人物であり(尊卑分脈)前記のような形で栄山寺領鵜野村をも押領し、私領としたものと考えられる。

宇野庄
うののしよう

古代の佐用郡宇野郷(和名抄)の郷名を継承した庄園。文化一二年(一八一五)の三日月藩領田畑明細帳(長田家文書)に宇野庄と記される諸村によって現南光なんこう町南部と上月こうづき櫛田くしだ付近を庄域とする説がある。一二世紀末頃までに作成された中院流家領目録案(久我家文書)に、播磨国「宇乃庄」とみえる。室町期と推定される年月日未詳の大金剛院領目録(井関文書)に宇野庄とみえるが、雅定領との関連は不明。文明一六年(一四八四)一二月一一日、播磨国へ進駐した但馬守護山名政豊が山内豊成に当庄内一〇分の二を宛行っている(「山名政豊判物」山内首藤家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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