宇戸村(読み)うとむら

日本歴史地名大系 「宇戸村」の解説

宇戸村
うとむら

[現在地名]美星町宇戸

三山みやま村の東の高原に位置する。江戸初期までは北接する烏頭うとう村を合せて宇戸村とよばれた。正保郷帳・天保郷帳では烏頭村を合せた宇戸村一村で高付されているが、実態的には各々村方三役がいる独立村で、烏頭村は大宇戸村、当村は小宇戸村とも称された。文安四年(一四四七)一二月一三日の延利下知状写(吉備津神社文書)に宇戸とみえ、宇戸谷うとだになど三ヵ村とともに吉備津宮の神子公事を催促されている。

宇戸村
うとむら

[現在地名]芦北町花岡はなおか

佐敷さしき町のむかい町から佐敷川右岸を東方へさかのぼった地域で、東は宮浦みやのうら村、南東井樋口いびのくち村と接し、対岸佐敷村。佐敷手永に属し、正徳年間(一七一一―一六)と思われる表題破損の文書(伊藤家蔵)によれば「一高拾四石壱斗七升五合三勺四才 本方(中略)一竈五軒 三十一人」の小村で、明治三年(一八七〇)には高一四石一斗余、戸数二九、人数男六八・女六六であった(「佐敷郷御通筋御手鑑帳」芦北図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報