宇土市(読み)ウトシ

デジタル大辞泉 「宇土市」の意味・読み・例文・類語

うと‐し【宇土市】

宇土

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日本歴史地名大系 「宇土市」の解説

宇土市
うとし

面積:七四・三九平方キロ

宇土半島の付根部分から半島北部を占める。半島部の北は有明海に面し、付根部分の北は緑川を境として飽託ほうたく天明てんめい町に接する。東は下益城しもましき富合とみあい町・城南じようなん町・松橋まつばせ町に接し、南はおお(四七八メートル)など宇土山地の峰々で宇土郡不知火しらぬひ町・三角みすみ町に接する。古くから交通の要衝で、東部を国道三号が南北に走り、そこから国道五七号が分岐し半島北岸沿いに三角町に至る。ほぼこの二本の道に並行して国鉄鹿児島本線と同三角線が通る。

宇土の地名の初見は、天平勝宝二年(七五〇)四月五日の智識優婆塞貢進文(正倉院文書)で、「肥後国宇土郡大宅郷戸主額田部君得万呂」とある。地名の由来について、「海門」「穿戸」「浮土」などからきたとする説や五穀がよく実ったため「殖処」としたなど諸説がある。

〔原始〕

網田おうだから旧石器時代の遺物が出土している。縄文時代の貝塚が多く、早―前期のものとして宮庄みやのしよう町のとどろき貝塚、岩古曾いわこそ町の曾畑そばた貝塚、中―後期のものとして西岡台にしおかだい古保里こおざと町などに遺跡が知られる。弥生時代の遺跡として神馬しんめ町の宇土城跡が知られ、古墳時代のものと思われるV字溝も発見されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宇土市」の意味・わかりやすい解説

宇土〔市〕
うと

熊本県中部,宇土半島の北側基部にある市。 1954年宇土町が花園,轟,緑川,網津 (あみづ) の4村と合体し,同年走潟 (はしりがた) 村を編入,58年網田 (おうだ) 村を編入して市制。中心市街地の宇土は,天正 16 (1588) 年小西行長が宇土城 (天守閣はのち熊本城に移築宇土櫓として現存) を築いたところで,キリシタン文化の中心地でもあった。江戸時代は細川支藩3万石の城下町,商業,交通の中心地として栄えた。現在は石灰石を原料に化学工業が立地。第2次世界大戦後,特に国道沿いに各種の工業が発達した。農村地域では野菜やミカン,メロン栽培が盛ん。有明海沿岸でノリ,アサリ養殖漁業が行われる。向野田 (むこうのだ) などの前期古墳群,宇土城跡 (史跡) ,鳥居くぐりの奇習で知られる粟島神社などがある。轟上水は現存する日本最古の上水道。市域の一部は三角大矢野海辺県立自然公園に属する。 JR鹿児島本線と三角線,国道3号線と 57号線との分岐点に位置する。面積 74.30km2。人口 3万6122(2020)。

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