奥津村(読み)おくつむら

日本歴史地名大系 「奥津村」の解説

奥津村
おくつむら

[現在地名]奥津町奥津

吉井川の左岸に位置し、北は長藤ながとう村、対岸奥津川西おくつかわにし村。奥津温泉発祥の地である。貞和三年(一三四七)六月二四日の刑部守延譲状(広峯文書)に「ヲクツ」とあり、播磨国広峯ひろみね神社(現兵庫県姫路市)の檀那地であったことがわかる。文明一三年(一四八一)八月末、一族の内争に敗れた伯耆の山名元之は美作へ逃れた。

奥津村
おきつむら

[現在地名]美杉村奥津

雲出くもず川上流域、南に川上かわかみ村、西は石名原いしなはら村に接し、東は飼坂かいさか峠で上多気かみたげ村。北は八知やち村に接する。「満済准后日記」によれば応永三五年(一四二八)七月一九日、北畠満雅を頼って伊勢へ来た小倉宮が「国司在所多気ノ奥、興津ト申」す所を御在所にしたとある。文禄検地帳を転記したと思われる伊勢国中御検地高帳には奥津村とみえる。

近世は慶長一三年(一六〇八)以降津藩領で、元和五年(一六一九)以降和歌山藩松坂領。近世初頭から新田開発が行われ、寛永一一年(一六三四)の奥津村新田帳(徳川林政史蔵)、承応四年(一六五五)の検地帳(同蔵)が残っている。明治二年(一八六九)の大差出帳(「美杉村史」所収)によれば家数一三八、人数五九〇(男二九七・女二九三)、牛馬なし。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報