奥之井(読み)おきのゆ

日本歴史地名大系 「奥之井」の解説

奥之井
おきのゆ

[現在地名]津市大里窪田

志登茂しとも川が台地の間から沖積平野へ流れ出ようとする出口に構築せられた井堰で、志登茂川右岸の窪田くぼた村および一身田いつしんでん村の耕地約八〇町歩を灌漑する用水の供給源。その創始はつまびらかでないが、室町幕府の引付記録である「披露事記録」天文八年(一五三九)四月二七日条に、

<資料は省略されています>

との記事があり、この窪田村住民が差止めたという「一身田水路」とは、この奥之井から一身田村の耕地に至る灌漑用水路であろう。

この奥之井と俗に井溝ゆみぞとよばれる用水路は、古来窪田村と一身田村、あるいは山田井やまだい村との間で、しばしば争論を発生させてきた。下津家文書(一身田町公民館蔵)の「奥之井溝替ニ付、口上書并村方旧記写」(年号を欠くが一七世紀末とみられる。ただし明治初年写)によると、最初一身田村は村境から約三〇〇メートル窪田村内へ入った個所の奥之井の井溝から用水を取入れており、井料として毎年米六斗と酒を納めていた。その後、一身田村の要請により、井溝からの用水入口をしだいに上流へさかのぼらせ、井料も年一石五斗から九石五斗までに増加し、最後に奥之井堰自体を窪田村と一身田村との「立合井」として、「奥之井筋普請入用三ケ壱、一身田より差出し、井米之義ハ林枡(奄芸郡林城主指定の枡)ニテ米拾石ツヽ年々窪田方ヘ受取、井酒之義も差出」こととなっていたようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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