奈良本村(読み)ならもとむら

日本歴史地名大系 「奈良本村」の解説

奈良本村
ならもとむら

[現在地名]東伊豆町奈良本

大川おおかわ村の南、天城あまぎ山系箒木ほうきぎ(一〇二三・七メートル)の南東裾に位置する。丘陵集落の中心域があり、集落の中央部をにごり川が南流して相模灘に流れ出し、河口付近に温泉が湧出している。集落中央部を南北東浦ひがしうら路が通り北は奈良本峠を越えて枝郷の掘川ほつかわ(現北川)となる。鹿島神社の天文一二年(一五四三)二月二五日付棟札には「河津庄内片瀬村奈良本里鎮守」とみえ、中世には当地は片瀬かたせ村に含まれていた。文禄三年(一五九四)検地帳に「奈良本村」とある(増訂豆州志稿)。江戸時代は初め幕府領、天明四年(一七八四)下総関宿藩領、同八年再び幕府領、天保二年(一八三一)沼津藩領となり幕末に至る(韮山町史)

奈良本村
ならもとむら

[現在地名]青木村大字奈良本

浦野うらの川上流の宮淵みやぶち川・沓掛くつかけ川の左岸たき山の山麓に散在する集落。南の滝山山麓に入奈良本いりならもと、北の平坦地に下奈良本しもならもとと集落が二分される。

永和二年(一三七六)の銅鐘銘写(丸山文庫蔵)

<資料は省略されています>

とある。文献上の初見は守矢満実書留(守矢真幸氏蔵)文明一三年(一四八一)正月条に「大県介奈良本遠江守信□、御符祝一貫八百、代初ニテ候、宮付浦野・田沢、闕頭成、雖然御符祝三貫三百、使四郎」とあり、続いて二月八日条に「奈良本祝一貫、皮」とある。以降、神使御頭之日記の長享元年(一四八七)条、守矢満実書留の享禄元年(一五二八)・天文三年(一五三四)・同九年条に「宮付 奈良本」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

土砂災害

大雨や地震が誘因となって起こる土石流・地滑り・がけ崩れや、火山の噴火に伴って発生する溶岩流・火砕流・火山泥流などによって、人の生命や財産が脅かされる災害。...

土砂災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android