太陽寺跡(読み)たいようじあと

日本歴史地名大系 「太陽寺跡」の解説

太陽寺跡
たいようじあと

[現在地名]豊橋市石巻中山

通称堂山どうやま中腹にある。もと天台宗の寺院。平安時代後期に、本坂峠の北々西にあたるこの地に「白星山太陽寺機明院」があった。廃寺の本尊薬師仏の厨子中にあった縁起によると、崇徳天皇の代、徳大寺右大臣成忠の建立とあり、もとは萩平はぎひら西川にしがわあたりを寺領とし、東西三八間・南北二六間、面積九八六坪の境内を有した。延元三年(一三三八)・大永二年(一五二二)等の火災によって衰退したらしく、三州吉田領神社仏閣記には、なお薬師堂、村支配と書かれているが、明治五年(一八七二)に廃却されて消滅した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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