天道教(読み)てんどうきょう

精選版 日本国語大辞典 「天道教」の意味・読み・例文・類語

てんどう‐きょう テンダウケウ【天道教】

〘名〙 朝鮮宗教一つ東学の第三代教主孫秉熙が東学党の乱ののち、東学の正統を受け継ぐとしておこした宗教。一九一九年の三・一独立運動では中心勢力として大きな役割をになった。
閑談の閑談(1933)〈吉野作造〉五「最近の独立運動の中堅を為す天道教は、実に東学党の一変形とも観るべきものであるから」

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改訂新版 世界大百科事典 「天道教」の意味・わかりやすい解説

天道教 (てんどうきょう)

東学を継承する朝鮮の一宗教。甲午農民戦争に敗北し教主崔時亨(さいじこう)が処刑された(1898)あと,東学の第3代教主孫秉煕(そんへいき)は日本に亡命していたが,国内の事務をまかされていた李容九らは日露戦争の際一進会をつくって教徒を日本軍に協力させた。これに反対した孫は,1905年12月,東学の正統を受け継ぐ宗教として天道教を宣布,翌年帰国して教団組織の確立を図った。07年には《天道教大憲》を頒布し,全国を72教区に分けてソウルに中央総部を置き,みずから教主となる一方,李らを除名処分にした。教義は東学と同じく〈人すなわち天〉を根本宗旨とし,〈地上天国〉の実現を最高理念とするもので,呪文・祈禱など五つの修道条目を定めている。孫は同年,教主を退き,普成専門学校や印刷所普成社などを経営して啓蒙活動に力を注いだ。10年の日韓併合後も,植民地支配のもとで政教分離をかかげて教勢の拡大につとめ,教徒300万人を称するまでになった。19年の三・一独立運動では,キリスト教仏教界に働きかけて運動を準備し,中心勢力の一つとして力を発揮した。その後,厳しい弾圧のもとで,教団の組織・運営や植民地政策への対応の仕方をめぐって分裂対立が繰り返されたが,民族解放運動のなかで,出版社を経営し雑誌《開闢(かいびやく)》を発行するなど一定の役割を担いつづけた。45年の解放以降,大韓民国では,純宗教団体としての再建をめざして教派の統一がすすみ,100万ほどの信徒を有して活動している。朝鮮民主主義人民共和国には,植民地支配下での積極的な解放闘争の潮流に立って創建された天道教青友党が,信者を基盤に朝鮮労働党の政策を支持する政党として存在している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天道教」の意味・わかりやすい解説

天道教
てんどうきょう
Ch'ǒndogyo

朝鮮,李朝末期の東学を継承した宗教。甲午農民戦争 (東学党の乱) の失敗後,日本に亡命していた第3代東学教主孫秉煕 (そんへいき) が,光武7 (1903) 年帰国,亡命中に李容九,宋秉しゅん (そうへいしゅん) ら教徒の一部が,日露戦争の間日本軍に利用され親日団体の一進会をつくっていたのを除去し,また秘密結社になっていた東学を改称し宗教として合法化したもの。翌年「天道教大憲」が頒布され,各種の学校の設立や機関誌の発行,地方組織化の推進などで勢力は急激に拡大した。 1919年の三・一独立運動は,天道教,キリスト教,仏教の宗教勢力と学校組織とが結合して全民族的な抗日蜂起となったが,なかでも,組織や財政面で天道教が主導的役割を果した。教主をはじめ多くの幹部が運動の推進者であったため,幹部は投獄され,妥協派と抗日派に分裂して勢力は衰えた。 28年までには新派,旧派,連合派,侍天教,天法教,大道教など 21の分派が生れた。 30年から新たな教勢拡張とともに統一運動が起り,45年解放以後はほぼ統一され,外郭に教徒を基盤とする強力な政党として天道教青友党が結成された。しかしそのため,李承晩と共産党の両方から牽制され,宗教活動も低調となったが,韓国では 61年の軍事クーデター以後,民族主義の高揚とともに復興されつつある。

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世界大百科事典(旧版)内の天道教の言及

【開闢】より

…植民地下朝鮮の雑誌(朝鮮語)。三・一独立運動後,〈文化政治〉の始まりの中で1920年6月天道教徒の手によって創刊された。編集人は天道教の理論家李敦化。…

【孫秉熙】より

…朝鮮の天道教の創始者で,三・一独立運動の指導者の一人。号は義庵。…

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