かい‐びゃく【開闢】
〘名〙 (古くは「かいひゃく」。「開」も「闢」も「ひらける」「ひらく」の意)
※
続日本紀‐養老三年(719)一〇月辛丑「開闢已来、法令尚矣」
※
太平記(14C後)一六「夫日本開闢
(カイヒャク)の始めを尋ぬれば」 〔
揚雄‐劇秦美新〕
② (━する)
信仰の場としての、山や寺を開くこと。また、その人。
開白(かいびゃく)。
※再昌草‐永正三年(1506)七月七日「従来不レ似二黄河水一開闢年年只一清」
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デジタル大辞泉
「開闢」の意味・読み・例文・類語
かい‐びゃく【開×闢】
[名](スル)
1 《古くは「かいひゃく」とも》天と地が初めてできた時。世界の始まりの時。「開闢以来の出来事」
2 信仰の地としての山を開き、あるいは初めて寺院などをつくること。また、その人。開山。「高野山開闢」
3 荒れ地などが切り開かれること。
「土地、これに由りて、次第に―し」〈中村訳・西国立志編〉
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開闢 (かいびゃく)
植民地下朝鮮の雑誌(朝鮮語)。三・一独立運動後,〈文化政治〉の始まりの中で1920年6月天道教徒の手によって創刊された。編集人は天道教の理論家李敦化。天道教の準機関誌の性格を帯びていたが,総合雑誌として非教徒の論説も掲載,社会主義の紹介なども積極的に行い,20年代前半の文化・啓蒙活動に大きな役割を果たした。たびたび発禁にあい,26年8月発行禁止となった。通巻72号。同年11月に開闢社は新たに《別乾坤》を発行(1934年まで)。34年11月《開闢》が復刊されたが,3号までしか出せなかった。解放後の46年再び復刊,1926年当時の号数を引きついで49年通巻81号まで刊行。植民地期の分は復刻版がある。
執筆者:水野 直樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
普及版 字通
「開闢」の読み・字形・画数・意味
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