天瀬川村(読み)あませがわむら

日本歴史地名大系 「天瀬川村」の解説

天瀬川村
あませがわむら

[現在地名]琴丘町天瀬川

山本郡の最南端にあり、三倉鼻みくらはなを境として南は秋田郡真坂まさか(現南秋田郡八郎潟町)と接し、東に上岩川かみいわかわ村、北に鯉川こいかわ村、西に八郎潟がある。

天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「百三拾八石四斗六升 はま瀬村 た年沢村市のゝ村」とある。「はま瀬」は天瀬川村、「た年沢」は種沢たねざわ村、「市のゝ」は市野々いちのの村のことで、三村は一体の歴史をもつ。

慶安元年(一六四八)の秋田檜山之内種沢村・市野村・天瀬川村御検地野帳(小玉家文書)に三村の田畑屋敷は合わせて一四町三段三畝一五歩、分米一一八石一斗一升五合とある。享保八年(一七二三)の山本郡天瀬川・市野々・種沢村御高共ニ調帳(小玉家文書)に「三ケ村御墨印壱本ニ御座候、村初相知不申候故、支郷親郷之次第相知不申候、御墨印ハ只今ハ天瀬川ニ所持仕候」とあり、天瀬川村は「村初り年号不相知候、秋田郡之内馬場目村より引越申候由、南ハ秋田郡之内真坂村境ハ三倉塙伊勢堂屋敷ニ御座候、御黒印右同断、家数拾四軒」とある。市野々村は「村初り年号不相知候、油利之内本庄より引越申候由、御墨印高右同断、西ハ秋田郡之内真坂村五りん坂崎峰より水落次第境ニ御座候」とある。享保一五年の「六郡郡邑記」には市野々村は「十五軒 南ハ秋田郡之内浦大町十八坂より屏風長根水落次第に境に候」とあり、種沢村は「八軒 南ハ秋田郡之内小倉村、ハナコスリ、山崎水落次第境ニ候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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