大郷戸村(読み)おおごうとむら

日本歴史地名大系 「大郷戸村」の解説

大郷戸村
おおごうとむら

[現在地名]益子町大郷戸

八溝やみぞ山地にあり、村域の大部分が山林西境を北へ細長くのびる大郷戸川沿いにわずかに水田があり、やや開けた北方耕地と集落がある。東は大郷戸川を隔てて山本やまもと村、西は小泉こいずみ村。慶安郷帳に村名がみえ、田三二石余・畑四二石余・茶石一斗余、幕府領。村内に幕府御林があった。そのほか当地内にある山林は長堤ながつつみ村・上山かみやま村など田野たの六ヵ村の共同入会秣場として利用されていたが、その利用権をめぐって近村との争いが繰返された。

大郷戸村
おおごとむら

[現在地名]笠間市大郷戸

仏頂ぶつちよう山南麓にあり、北は片庭かたにわ村。中世は笠間氏の支配下にあり、江戸時代は笠間藩領で、「寛文朱印留」に村名が載る。茨城郡山内南郷村差出帳(石井家文書)によると慶安二年(一六四九)検地で村高二四九・六九八石となり、万治三年(一六六〇)・延宝二年(一六七四)の新開検地で合せて二一石余を打出す。村には四壁山二四、堰一〇、焼山四、溜池五などがあり、溜池は片庭・箱田はこだ古町ふるまちなど近隣諸村の用水となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報