琴平(読み)コトヒラ

デジタル大辞泉 「琴平」の意味・読み・例文・類語

ことひら【琴平】

香川県西部、仲多度なかたど郡の地名金刀比羅ことひら鳥居前町として発達

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精選版 日本国語大辞典 「琴平」の意味・読み・例文・類語

ことひら【琴平】

香川県西部の地名。琴平山東側のふもとにある。金刀比羅(ことひら)宮の門前町として発達した。

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改訂新版 世界大百科事典 「琴平」の意味・わかりやすい解説

琴平[町] (ことひら)

香川県西部,仲多度郡の町。人口9967(2010)。大麻(おおさ)山の南東部,象頭(ぞうず)山の東側中腹にある金刀比羅(ことひら)宮(金毘羅大権現)の門前町として発達した。数百軒のみやげ物店や旅館が軒を並べ日本でも代表的な門前町を形成している。参道には奥社まで1368段の長い石段があり,参道入口から大門までは駕籠もある。神社は海運の神として江戸時代から全国の信者が集まり,琴平に至る諸街道沿いには今も灯籠道しるべが数多く残っている。JR土讃線,高松琴平電鉄線が通じる。
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讃岐西部の内陸部に位置する松尾寺の金毘羅大権現は1621年(元和7)に生駒氏から247石の所領寄進を受けたが,のち48年(慶安1)に江戸幕府から金毘羅領330石を与えられて朱印地となり,ここに門前町として発展する基が築かれた。金毘羅参詣が盛んになりはじめた元禄(1688-1704)ころには門前町としての姿を整えた。1721年(享保6)の人口は2465人であった。近世後期には坂町谷川町,札前町,内町,金山寺町,阿波町など11の町があり,この門前町へ丸亀街道,多度津街道をはじめ,高松・伊予・阿波各街道が集まっていた。また1834年(天保5)には米安売りを要求して打毀がおこっている。68年(明治1)には934戸・3441人となり,このうち町民は705戸・2372人であった。明治に入って金毘羅領は琴平村となった。
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世界大百科事典(旧版)内の琴平の言及

【大麻山】より

…香川県北西部,善通寺市と琴平町,高瀬町の境界にあたる山で,溶岩台地のなごりである。標高616m。…

【讃岐国】より

…この塩飽船衆たちによって海の守護神また現世利益神としての金毘羅(こんぴら)信仰が各地へ広められた。1648年(慶安1)に江戸幕府の朱印地(330石)となった金毘羅(現,琴平町)は18世紀初めころには門前町としての姿を整え,以後庶民による信仰の高まりの中で発展していった。金毘羅へは伊予,阿波,多度津,丸亀,高松の各街道が集まっており,とくに多度津と丸亀城下は金毘羅への上陸地としてにぎわった。…

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