大通西・大通東(読み)おおどおりにし・おおどおりひがし

日本歴史地名大系 「大通西・大通東」の解説

大通西・大通東
おおどおりにし・おおどおりひがし

明治一四年(一八八一)六月に後志通が改称して成立(事業報告布令類聚)。はじめ大通西一―八丁目、大通東一―三丁目があった。その後大通西は明治二三年に元桑園および元綿羊場から九―二〇丁目(北海道庁布令全書)、昭和一六年(一九四一)円山まるやま町から二一―二八丁目が成立、大通東は明治二一年に鋳物所表口の創成そうせい川沿いを一丁目に、「新設道路左右」を二―三丁目に編入し、「木挽場木囲堀」一帯から四丁目が成立した(北海道庁布令全書)。大正一四年(一九二五)四丁目と苗穂なえぼ町の一部から五―一四丁目が成立(「新札幌市史」など)

大通西・大通東
おおどおりにし・おおどおりひがし

昭和二七年(一九五二)に設定された。大通西は一―六丁目、大通東は一―九丁目からなる。現北見市市街地の中央部、北見駅を中心にJR石北せきほく本線と国道三九号(中央道路)に挟まれた所と、国道北側に沿って南西から北東へ続く。大通西一―六丁目には鉄道関連諸施設があり、昭和二九年の鉄道官舎移転後商業地化した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報