大通代官所跡(読み)おおつちどおりだいかんしよあと

日本歴史地名大系 「大通代官所跡」の解説

通代官所跡
おおつちどおりだいかんしよあと

[現在地名]大槌町上町

江戸時代の四日よつか町の北側に位置する。元文四年(一七三九)の大槌通管内図(盛岡市中央公民館蔵)ではしろ山を背に平屋切妻の御役屋があり、左右と前面三方柴垣をめぐらし、正面中央には冠木門が設けられている。

大槌孫八郎追放後の慶長一五年(一六一〇)から同一七年頃、浜田彦兵衛、続いて下田治太夫がともに城代と称して大槌氏の旧領管理に当たった。三代針清七に至って代官と名称を替え、金崎中かねざきなか館あるいは吉里吉里きりきり小屋で勤務したという(「大槌支配録」県立図書館蔵)万治(一六五八―六一)頃は萱葺で、寛文年中(一六六一―七三)初めて柾家になったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報