上閉伊郡(読み)かみへいぐん

日本歴史地名大系 「上閉伊郡」の解説

上閉伊郡
かみへいぐん

面積:三六五・一五平方キロ
大槌おおつち町・宮守みやもり

明治三〇年(一八九七)西閉伊郡と南閉伊郡が合併して成立した郡。成立当時は県の南東部に位置し、東は太平洋に臨み、西は北上高地の最高峰である早池峰はやちね(一九一三・六メートル)の南側に及んでいた。中央を北上高地が南北に走って郡域を東西に二分する。東は海岸部で、大槌川・小鎚こづち川・鵜住居うのすまい川・甲子かつし川などが山を削って渓谷をつくり、東流して海に入る。これら河川の間を北上高地の支脈が東に走って洋上に突き出し、船越ふなこし湾・大槌湾・両石りよういし湾・釜石湾などのリアス海岸が形成されている。西は北上高地の山中に属し、さるいし川による浸食とその堆積物によって広い盆地が形成されている。猿ヶ石川は東禅寺とうぜんじ川・薬師やくし川・小烏瀬こがらせ川・早瀬はやせ川・来内らいない川など多くの支流が、北あるいは東、南から集まって遠野で合流、西に流れて小友おとも川・宮守川・達曾部たつそべ川を合せ、和賀郡に出る。四周を囲む山には東に白見しらみ(一一七二・六メートル)大峰おおみね(一一四七・五メートル)があり、西に小白こしら(一三五〇・四メートル)土倉つちくら(一〇八四・二メートル)飛竜ひりゆう(五九八・八メートル)があって稗貫ひえぬき郡と境し、北は薬師岳(一六四四・九メートル)一ッ石ひとっいし(一〇五九メートル)などで下閉伊郡、南は物見もつみ(八七〇・六メートル)貞任さだとう(八八四・二メートル)などで江刺郡および気仙けせん郡と境していた。

昭和一二年(一九三七)釜石町が市制施行、同二九年遠野市が成立、同三〇年釜石市域が拡大したため郡域は東西に分断され、東側は釜石市の北隣に大槌町が、西側は遠野市の西隣に宮守村が残るのみとなった。大槌町は東は太平洋、北は下閉伊郡山田やまだ町、北西は同郡川井かわい村、西は遠野市に接し、宮守村は北は稗貫郡大迫おおはさま町、西から南は和賀郡東和とうわ町に接する。以下の記述は、現在の上閉伊郡に含まれる大槌町・宮守村を中心として、成立時の上閉伊郡域についても言及する。

〔原始・古代〕

大槌町沿岸部には縄文前・中期の沢山さわやま遺跡、縄文中期の赤浜あかはま遺跡、縄文中・後期の櫓沢やぐらざわ遺跡などがある。崎山弁天さきやまべんてん遺跡は一部海食により崩壊されるほど海際に位置し、早期から晩期に至る縄文時代ほぼ全期にわたり内容も多様である。内陸部では猿ヶ石川流域にできた河岸段丘、沖積地、北上高地の麓に遺跡がある。昭和五九年発見された宮守村達曾部の金取かねとり遺跡では前期旧石器と思われる円形石斧・掻器などが発見された。この発見は県内の旧石器の年代上限を引上げるものとして注目されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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