大穂村(読み)おおぶむら

日本歴史地名大系 「大穂村」の解説

大穂村
おおぶむら

[現在地名]宗像市大穂

つり川支流高瀬たかせ川上流域に位置する。東は野坂のさか村、西から南西にかけて畦町あぜまち(現福間町)など、南は鞍手くらて山口やまぐち(現若宮町)。文和元年(一三五二)一一月二二日、室町幕府は宗像氏俊に大穂又五郎跡の「大穂村」地頭職などを渡し付けるよう九州探題(一色直氏)に命じている(「室町幕府引付頭人大高重成奉書」宗像大社所蔵文書/南北朝遺文(九州編)三)。大穂又五郎は少弐頼尚の家臣であった。至徳四年(一三八七)四月三日には九州探題今川了俊が大宮司宗像氏頼に大穂庶子分などを神領として安堵している(「今川了俊書下」同文書/南北朝遺文(九州編)六)。宗像社家文書惣目録(宗二)の大穂証状の項には、応永一二年(一四〇五)一二月二三日の大穂利種・忠種親子と同一五年八月二日の大穂利種の誓文状が載る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報