野坂庄(読み)のさかのしよう

日本歴史地名大系 「野坂庄」の解説

野坂庄
のさかのしよう

現野坂に比定される。古代の宗像郡野坂郷(和名抄)の郷名を継承。承元四年(一二一〇)九月三〇日の惣地頭代沙弥某・惣公文清原某連署下文(宗像大社所蔵文書/鎌倉遺文三)に「野坂庄」がみえ、大蔵季秀が当庄上今犬丸名主職に補任されている。建暦二年(一二一二)一〇月二六日、惣地頭兼預所内舎人大江某が野坂庄名主職を当庄今犬所に領掌させている(「惣地頭兼預所内舎人大江某下文」同文書/鎌倉遺文四)。天福元年(一二三三)五月日の石清水八幡宮寺申文(宮寺縁事抄/鎌倉遺文七)には香椎宮領野坂庄がみえる。建保五年(一二一七)六月日には大蔵季秀が先祖相伝の私領である宗形とう郷内野坂上今犬の四至を限り、嫡男親秀に譲っている(「大蔵季秀譲状」宗像大社所蔵文書/鎌倉遺文四)。嘉禎二年(一二三六)四月九日、大蔵親秀は一子大蔵太子に四至を限り「宗形東郷内野坂別符上今犬村」を譲っており、譲状(同文書/鎌倉遺文七)によると野坂別符は東郷のうちとされている。正嘉二年(一二五八)四月三日には地頭代官沙弥・公文代僧・田所僧が野坂庄今犬名安養あんよう寺田六段の検注を永代に取除くとしている(「地頭代沙弥・公文代・田所連署下文」同文書/鎌倉遺文一一)

野坂庄
のざかのしよう

現敦賀市の旧しようノ川以西の平野部を荘域としたと考えられる気比けひ社領荘園。建暦二年(一二一二)九月日付の越前気比宮政所作田所当米等注進状(越前気比宮社伝旧記)に「野坂庄 遺田廿四町五反小 供僧分十丁四十八歩 社家分十四丁五反七十二歩」とある。気比社および気比社領は摂関家あるいは皇室と関係が深く、たとえば嘉元四年(一三〇六)六月一二日付昭慶門院御領目録(竹内文平氏所蔵文書)にも気比社の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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